「プライベート」=「奪われている」!?

みなさん「プライベート」という言葉を聞くと学校の勉強や仕事から解放された時間のことを思い浮かべますよね?

「プライベートを充実させたい」「仕事とプライベートとのワークライフバランスが大事」みたいな感じですか?
 
でも、「プライベート、私的」(private)の語源は「奪われている」(deprived)と深く関係しています。少しマイナスなイメージですよね?
 
じゃあ、プライベートは何が「奪われている」のか?
他の人に見られたり、聞かれたりする経験から生まれるリアリティが奪われているんです。他の人の存在がなかったら、自分も存在しないかのように感じてしまうのです。20世紀のユダヤ人は公の場から排斥されていたから、プライベートが充実してたってことになってしまいますね。

この話は「公的領域」と「私的領域」というものに関わってきます。私は「公的領域」や「私的領域」についてもいろいろ本を読んでいるんですが、「公的領域」と「私的領域」は時代によって変化していきます。
 
今はどうでしょうか?インターネット、特にSNSが普及してからというのは「公的領域」と「私的領域」はかなり変化したと思います。誰でも自分の意見を多くの人に発信して反応をみることができ、自分にとって私的なことでも多くの人の目に晒し続けることができます。常に他者の存在があるので、本来の意味での「プライベート」からはますますかけ離れてしまっています。常に他者の存在があることが良いことか、悪いことか、はっきり言うことは難しいです・・・
 
卒論でこういった内容が関わっていて、「公的領域」と「私的領域」の変化に伴い人間の活動どう変化していくのかを書こうと考えています。