『非属の才能』の感想 / 説得力のない文章

『非属の才能』という本が、あるIT系の雑誌で紹介されていたので読んでみました。

 

この本の主旨は

自分のなかの「どこにも属せない感覚」を信じ続けた人が非属の才能”の持ち主であり、この非属が才能の扉をこじ開け、幸福な人生を送るための鍵である。

というものです。

 

共感できる部分がいくつかありました。

・日本人は「協調」でなく「同調」する。

・疑問を持たずに同調さえしていれば、無難に生きていけると考える人が多い。

・人間を天才と凡人の二種類だけには分けられない。

・失敗は重要である。

などです。

 

周りの人に足を引っ張られても、自分を信じて、チャレンジしていこうという感じは伝わってきました。

 

だだ、論理の飛躍があったり、例がおかしな部分が多いです。また、人と違うことをすることに固執しすぎて奇妙です。

「非属が才能の扉をこじ開ける」かように書いてありますが、その根拠は徳になかったです。筆者は非属の才能の持ち主として、エジソン、ジョン・レノンスティーブ・ジョブズ長島茂雄村上春樹などを挙げています。彼らは非属の才能を持っているようですが、非属だったから才能を開花させ、成功したことの論拠はなかったです。

 

P94

村上春樹は夜明けに執筆するらしい。まだ暗いうちにコーヒーとサンドイッチなどのすませ、・・・・・・

と朝型のライフスタイルを紹介した後で、太字にし、「僕は、彼のライフスタイルに非属の才能を感じずにはいられない。」と書いています。ほかの小説家は朝までお酒を飲んでいるようで、その対比として書かれています。

筆者の論理だと、早起きしたら、村上春樹みたいな小説書けるようです。(わざわざ太字にすることではない。早起きしてるというちょっと人と違うことを無理やり才能に結び付けたいだけ。)

 

P101

一般的なはじめての海外旅行はハワイか韓国だとし、筆者は直感を優先し、エジプトに行ったため、ふだんは出会うことのない才能を持った人間と偶然の出会いを果たしたそうです。

何も考えずに人と同じことばかりしてはいけないというのはわかります。だだ、ハワイや韓国に行ったらふだん出会うことのない才能を持った人間と出会えないのか?どんな才能なのか?という疑問が残ります。(直感を優先した自分は正しいに違いないと思い込みたい。)また、前のページで「心持ち一つで、なにもニューヨークやローマやインドに行かなくても新しい世界は見つかる。」と太字で書いておきながら、エジプトに行かなかったら、出会えない才能があるかのように書くのは変でしょう。

 

また、テレビや新聞などのメディアより、直接の知り合いから聞くことが重要であるように書かれているところが、いくつかあります。

P232

テレビで見ると治安の悪い危なそうな国も、そこに住んだことのある人から話を聞くと案外、日本なんかよりも人情味あふれる温かい国であることがわったりもする。こうなると、目も前の人間から直接インプットできる情報は、本当に貴重なものだということがわかってくるだろう。

とあります。

わかってきません!!その知り合いがその国のどれほどの人と関わったのか知りませんが、ほんの一部分のことを国全体に拡大させ、人情味なんてあいまいなものを国際比較するのはおかしいです。上記のように書いてしまうと信じたいものだけ信じる人みたいになってしまいます。

全体的に例が下手です。なぜ、テレビや新聞などのメディアより、直接の知り合いから聞くことが重要であるか、なぜ目の前の人間から直接インプットできる情報が貴重なのか、よくわからないでしょう。知り合いの言っていることがぼんやりしすぎていますし、テレビや新聞などのメディアより直接の知り合いが絶対的に優位で、正しいことを説明できていません。テレビで見たような治安の悪い危なそうな場所もあり、人情味あふれる場所もあると判断するのが普通だと思います。

 

このような調子で書かれており、おかしな所はまだまだありますが、ここまでにします。

エジソン、ジョン・レノンスティーブ・ジョブズ長島茂雄村上春樹は非属の才能を持っているんだな、と思いました。しかし、非属の才能を持っているから、エジソン、ジョン・レノンスティーブ・ジョブズ長島茂雄村上春樹みたいになれるということはこの本からはよくわかりませんでした。(例に説得力がないことが多いから。)この本の主旨である「非属が才能の扉をこじ開ける」という部分があいまいになり、残念です。

 

とりあえず、自分が文章を書く時は例をちゃんと使えるようにしようと思いました。当たり前ですが、例を使うのは言いたいことをよく理解してもらうためです。論理的におかしいのに例を使って、あたかも「俺の言った通りだ!!」みたいにもっていくのは、よくないです。